福音のために

礼拝説教「福音のために」2021年6月6

聖書 テモテへの手紙 第二 1章8~18節

(序)本日もテモテへの手紙 第二 からお話し致します。

一、福音のために 8~11節

パウロは、テモテに、神の賜物として、力と愛と慎みとの霊を与えられているのであるから、主を証しすることや、パウロが福音のために囚人として捕らえられていること恥じてはいけませんと語り、「むしろ、神の力によって、福音のために私と苦しみを共にしてください」(8節)と言っています。「苦しみを共にする」(スンカコパセソー)とは、新約聖書では、ここと2章3節の2箇所にのみ使われている珍しい言葉です。パウロは、テモテに、「私と苦しみを共にしてください」とチャレンジをしているのです。これはまた、主が私たちにもチャレンジしている言葉ではないでしょうか。私たちはこのチャレンジにどのように答えるでしょうか。

福音は、「神の力」です。ですから、福音宣教も「神の力によって」こそなされるのであり、神の力によって、また、恵みによって強くされ、福音のために労し、苦しむことの出来る者とされるのです。

パウロは、神の救いと召しという恵みを覚え、それらが神ご自身の計画と恵みによることを絶えず覚えていました(1章9節)。ですから、「この福音のために私は苦しみを受け、犯罪者のようにつながれています。しかし、神のことばはつながれていません」(2章9節)と語ることができたのです。そして、その恵みは、永遠の昔から、イエス・キリストにあって与えられていたことを証ししています。

そのような神の恵みのご計画が、イエス・キリストの受肉によって明らかにされたことを告げています。キリストは、十字架の死と復活によって、死を滅ぼし、福音によって、いのちと不滅を明らかにしてくださったのです(10節)。

パウロは、この福音のために、宣教者、使徒、教師として任命されたのですと証ししています(11節)。

二、ゆだねられたものを守る 12~14節

 12節、パウロは、福音宣教の使命を果たすために、今や牢獄につながれるという苦しみにあっています。しかし、彼はそれを恥とは思っていません。パウロは、「自分の信じて来た方をよく知っており、私のお任せしたものを守って下さることを確信している」(12節)と主のご真実をこれまでも体験し、これからも示してくださることを確信するがゆえに恥とは思わない、と言っています。欄外注(別訳)「私の任せられたもの」すなわち福音のことです。

「キリスト・イエスにある信仰と愛」(13節)とは、キリストに結びつくことによって与えられるものです。この信仰と愛によって、「私から聞いた健全なことば」(13節)を手本として、牧会伝道に励みなさいと勧めています。そして、「ゆだねられた良いもの」すなわち、健全なことばとしての福音を、「私たちの内に宿る聖霊によって守りなさい」(14節)と勧めています。

この箇所について、小島伊助先生は、「主と主のご真実を知り、永遠の望みをいだく者には、福音の純真実性は、生ける主ご自身とその御霊にあることを疑うことが出来ない。離れていく者は、初めから着いていなかったのだろう。使徒の絶筆らしい気迫を読む」と言っておられます。

三、多くの離れ去る者と一人の忠実な者 15~18節

パウロは、ここで背教する者と愛の労苦をする者の実例を示しています。多くの離れ去る者たちと一人の忠実な人の愛の労苦の対照です。

アジヤにいる人々やフゲロ、ヘルモゲネなどは、背教者の代表です。彼らは、パウロを裏切り、パウロから離れ、健全な教えから離れて行きました(15節)。

しかし、パウロは、オネシポロの家族の愛の労苦によって励まされたことを証ししています(16~18節)。彼らは、パウロを元気づけ、パウロを恥と思わないで、熱心にパウロを捜し、見つけ出して、世話をしたのです。ですから、パウロは、オネシポロの家族の愛の労苦に感謝し、主が豊かなあわれみを示してくださるようにと祈るのです。

16節の「元気づけ」アナプシュコーとは、暑さと労苦に悩まされているところに、冷たく新鮮な空気を送り込んで人を回復させ、リフレッシュさせることです。一人の忠実な愛の労苦を、人は決して忘れはしません。そして、主もまたそのような忠実な愛の人の労苦をお見逃しになりません。チャンと見ておられ、一つひとつの愛の労苦に報いてくださるのです。

「見よ。神である主は力をもって来られ、その御腕で統べ治める。見よ。その報いは主とともにあり、その報酬は主の御前にある。」とイザヤ書40章10節にある通りです。

このイザヤ書40章には、主なる神の慰めのメッセージと変わることのないみことばというメッセージ、そして良き知らせを伝える者というメッセージが書かれています。そして、31節には、力ある神による新しい力の付与と更新が約束されています。そのような力ある神のもとに、報いと報酬があると約束されているのです。この約束を信じ、福音のために、共に労し、励みましょう。

(結論)主からの報いと報酬の約束を信じ、福音のために、共に労し、励みましょう。