愛する御子のご支配の中へ

礼拝説教「愛する御子のご支配の中へ」2022年5月 1日

聖書 コロサイ人への手紙1章13~14節

(序)コロサ人への手紙1章9~12節におけるパウロの祈りを、「キリスト者の肖像」ということで七つのポインツを、二回に分けて見ました。この様な成長したクリスチャンになることが出来るのは、結局のところ、自分の力や努力ではなく、恵みによるということです。「大いなる贖いの恵み」があればこそ、素晴らしいクリスチャン生涯を送ることが出来るのです。そこで、今朝は、「愛する御子のご支配の中へ移される」という大いなる贖いの恵みについて見たいと思います。

一、暗闇の力から、愛する御子のご支配の中へ

私たちは、救いにあずかるまでは、「闇の力、闇の権威」のもとにあった者です。考えてみれば恐ろしい事です。「闇」とは、「光」の正反対で、サタンの支配の特徴を示しています。「暗闇の力」とは、サタンの支配の下にあるという事です。彼の名は①サタン(敵する者、マタイ4:10 ) ②アバドン(破壊者、黙示録9:11)  ③偽りの父(ヨハネ8:14 )④ディアボロス(悪魔、中傷する者、マタイ4:1) です。そして、「闇の力の下にいる者」は①無知です(ローマ1:21)。 人生の目的も死後の問題も神についても無知です。②心は暗黒で生活は乱れ、苦痛と恨みと憎悪に満ちています(ローマ13:12)。③善意と正義と真実の実を結ぶことができません(エペソ5:11)。④神様との交わりがありません(第1ヨハネ1:6)。

13節の「救い出して」とは、かつてイスラエルがエジプトから救い出されたように、強い御腕をもって確実に救い出すことを意味しています。

「移して下さくださいました」とは、不定過去時制(アオリスト・テンス)というギリシア語独得の時制が使われ、瞬間的かつ決定的意味を含んでいます。福音を聞いて神の恵みを心に深く知ったその時、私たちは愛する御子のご支配の中に移されたのです。「愛する御子のご支配」とは「愛する御子の王国」のことです。私たちは、主イエスを信じたとき、「愛する御子のご支配の中に」瞬間的に確定的事実として移されたのです。キリストを信じた瞬間に、私たちは、「お国換え」をされたのです。信仰とは、私たちをして、闇から光へ、死から命へと瞬間的に移し換えるものなのです。

二、キリストの血による贖いの恵み

実は、「移された」という決定的な事柄のために、十字架で流された主イエスの血による贖いという、大きな代価が払われているのです。

第一ペテロ1章18~19節をご覧下さい。「銀や金のような朽ちる物にはよらず、傷もなく、汚れもない子羊のようなキリストの、尊い血によったのです」とあります。私たちの贖いのために、主イエス・キリストの尊い血が流されているのです。キリストの尊い血は、私たちを贖い、罪からきよめてくださるのです。

三、罪のゆるしと和解の恵み

コロサイ1章14節に「この御子にあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです」とあり、コロサイ1章20節には「その十字架の血によって平和をもたらし、御子によって、御子のために万物を和解させること、すなわち、地にあるものも天にあるものも、御子によって和解させることを良しとしてくださったからです」とあるように、私たちは、主イエスの十字架の血によって贖われ、罪ゆるされ、神との平和を得ているのです。

「贖い」(アポルトローシス)というギリシア語の言葉は、アポ(~から)とルオー(解き放つ)とルトロン(あがない金)という3つの言葉よりなっている合成語です。すなわち、「贖い金を払って解放する」との意味です。キリストの十字架の上で流された尊い血により、贖い金が払われ、私たちは、罪と滅びの中より救い出されたのです。

最後に、イザヤ書44章22節をご覧ください。神様は、「わたしはあなたの背きを雲のように、あなたの罪をかすみのように消し去った。わたしに帰れ。わたしがあなたを贖ったからだ」と言われます。すなわち、主イエスの血潮のゆえに、罪ゆるされ、きよめられ、一切の雲きりは、吹き払われて、雲散霧消、ただそこに、主の臨在が輝く場所として下さるのです。

私たちは、「贖いと罪の赦しの恵み」を、信仰をもって受け取るだけで良いのです。

(結論)私たちは、「闇から光に」移された恵みをしっかりと信仰をもって握り、主に向かって、心から感謝をささげましょう。